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三行半(みくだりはん) |
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| 今回はタイム・トリップして、江戸時代における「離婚」を探ってみたいと思います。何事でもそうですが、広く世界のことを知ることが有益であるのと同様に、歴史をさかのぼってみて過去の経験を探りそれを現代に生かすことは、とても大切なことだと思います。 ちょっと長い「時間旅行」をしてみてください。 1.タイム・トリップする前に 「かぶら寿司」は高岡の人であれば、おそらく誰もがご存じのことでしょう。しかし、日本人のほとんどの人が「かぶら寿司」のことを知っているかというと、はなはだ疑問です。これと同じようなことが、「協議離婚」(民法763条)にもあてはまります。日本人で「協議離婚」のことを知らない人はほとんどいないでしょう。 わが国における協議離婚の制度は、夫婦の間に合意さえあれば、戸籍への届出によって離婚が成立するという、簡単な離婚制度です。夫婦の合意を前提とする離婚という制度はたとえばフランスやスウェーデンにもありますが、両国とも一定の手続を経て離婚判決がなされてはじめて離婚が認められるものです。したがって、わが国の「協議離婚」という制度は、きわめて特殊な制度なのです。 協議離婚の制度が理想どおりに利用されるならば、これに優る離婚制はないでしょう。離婚という事態に至った成り行きは当事者である夫婦が最もよく知っていることですし、今後のことも2人で決めればよいことだともいえます。ただ、夫婦が双方とも経済的に自立している場合であれば、2人が合目的的な自由な協議を行うことも可能でしょうが、その一方に経済的自立力がないとなると、一転して、協議離婚の制度は強者が弱者(一般には妻)に離婚を強制する手段となってしまいます。つまり、「追出し離婚」の弊を心配する必要が出てくることになります。 わが国では、明治に入って、ヨーロッパの「裁判離婚」の制度を導入すると共に、「協議離婚」の制度を創設しました。この協議離婚制度の創設にあたっては、いろいろと議論があったようで、当初は夫婦の協議を裁判離婚の原因としようとしたのですが(明治23年公布の旧民法・理由書105頁以下)、「わが国のように男子の権が強い国においては、夫の一方的意思によって離婚を認めるよりは、協議離婚を認めたほうが実害は少ない」との理由で協議離婚の制度が創設され(明治31年公布の民法・法典調査会速記録6−365(富井政章))、それが今日まで及んでいるわけです。 もっとも、明治31年公布の民法で創設された協議離婚の制度は、まだ女性が個人としての自覚をもつにいたらず、経済的にも弱い立場であったことから、家の中のもめごと(恥)をいわゆる「裁判ざた」にしないで、妻を追い出すといった手段に使れたといわれています(追出し離婚)。 「追い出し離婚」といえば、多くの人が「三行半」(みくだりはん:「三下半」とも書かれる)という言葉を思い起こされることでしょう。この「三行半」とは、広辞苑によれば、「(江戸時代、簡略に離婚事由と再婚許可文言とを三行半で書いたことから)夫から妻に出す離縁状の俗称」とあります。明治時代に「夫の一方的意思によって離婚を認めるよりは、協議離婚を認めたほうが実害は少ない」との理由で、協議離婚制度が創設されることになったわけですが、その念頭にあったのは、おそらくこの「三行半」という言葉に象徴される江戸時代の離婚制度だったと思います。 ちなみに、現在では「離縁」とは養子縁組の解消をいい、婚姻の解消を離婚といって、この2つを呼び分けています。 2.タイム・トリップ 鎌倉時代の頃から、夫には一方的に離婚する権利があるとされ、同時に、離婚に際して夫より妻に対して、「去状之手書(さりじょうのてふみ)」とか「去状(さりじょう)」とか「手書(てふみ)」、あるいは「暇之状(いとまのじょう、ひまのじょう)」といわれる文書を与えるということが行われるようになったらしいのですが、おそらく、すべての離婚においてこういう文書が与えられたわけではないでしょう。しかし、離婚したという証拠がなくては女性の方が再婚するのに困ることから、室町時代になると、女性は男性から何らかの離婚の印をもらうことが行われるようになった、ということです。 (a)夫にあった離婚権 江戸時代においては、離婚の権利は夫にあり、妻にはないとされました。たとえ夫が不始末をしでかして、お詫びのため離婚しなければならなくなったとしても、離縁状を書き、妻を離婚するのは夫でした。
江戸時代、夫は自由に妻と離婚できたのですが、妻が持参した諸道具と持参金を返さなければいけませんでした。夫は、妻が妊娠中でも離婚することができるとされました。離婚後に生まれてきた子は、男子であれば男性の方が、女子であれば女性の方が引き取るとされていたようです。 (b)妻の立場 妻の側にも、一定の場合、または特定の方法で、離婚が認められていました。江戸時代の前半では、
といったことが認められていたわけです。 ところが、江戸時代の後半になると、ABCの制度はなくなり、Dの制度も縁切寺公は東慶寺と満都幾寺に限られ、寺社奉行が東慶寺に対して同寺にかけ入った女性の引渡しを求めた場合、同寺ではその引渡しを拒絶できないとされました。 (c)離婚の理由 三行半の離縁状にはいろいろな形態があるのですが、以下では離縁状に記載された離婚理由からいくつをとりあげてみます。 (ア)理由の記載がないものと「勝手につき」という理由 夫は何の理由も示さずして、離婚できたことを示すものです。「勝手につき」というのは何の理由もないのと同じですが、夫が自分の気持ちだけで離婚できるということを示すものです。
(イ)「家風に応じない」、「不相応」との理由 「家風に応じない」とはっきり明示した離縁状があります。「不相応」を理由とするものも、夫が妻のことを婚家の家風にあわないと思い、離婚する場合でしょう。
(ウ)「妻の不行跡」という理由 妻の不行跡、ここではおそらく不倫を理由とした離婚です。
(エ)協議による離婚 場合によっては、夫婦協議のうえで離別する旨を記載したものがあります。ただし、離縁状を書くのはやはり夫の方です。
(オ)妻からの望み 離縁が妻から望まれたことである旨を記載した離縁状もあります。
(カ)「不熟」や「家庭不和」という理由 「不熟」とは男女間がうまくいかないという場合でしょう。これに対して、「家庭不和」は他の家族とうまくいかない場合をさすのだろうと思います。
(キ)「妻の病身」という理由 妻が病身のため(妻の方から進んで身を引いたため)、夫が離縁するという場合があります。
(ク)「夫の失踪」という理由 夫が失踪したため、離縁ということになることもあります。しかし、この場合には、夫からの離縁状は期待できませんから、夫の兄弟とか、親類5人組が離縁状を出すことになります。また、夫失踪の顛末を記載するため、通常は三行半にはおさまりません。
3.現代に戻ってみて どうでしょうか。タイムトリップから戻ってみて、どのような感想をもたれたでしょう。時代の違いを感じさせられる離縁状もありますが、現代でも「そんな話、聞いたことがある」ってものもありますよね。 妻子を捨てて他の女性に走った夫(逆に夫を捨てて他の男性に走った妻、ということもありますが・・・)が、「もう夫婦生活はできない」といって離婚を請求してくるってこと、今でもありそうです。 自分で家庭を破壊しておきながら、それを理由に離婚を求めるというので、学者はこの種の離婚請求を「有貢配偶者の離婚請求」と呼んでいます。婚姻が崩壊してしまった以上、離婚もしかたがないようにもみえるが、それでは妻との生活がいやになったら妻を捨ててもよいということにもなってしまいます。 最高裁判所は、こういった離婚請求は、あまりに勝手でわがままな離婚請求だといって、ずっと離婚を認めなかったのですが(最判昭和27年2月19日民集6巻2号110頁)、昭和62年になってこの態度を改め、「有責配偶者からされた離婚請求であっても、夫婦の別居が両当事者の年齢及び同居期間との対比において相当の長期間に及び、その間に未成熟の子が存在しない場合には、相手方配偶者が離婚による精神的・社会的・経済的にきわめて苛酷な状態におかれる等離婚請求を認容することが著しく社会正義に反するといえるような特段の事情の認められない限り、当該請求は、有貢配偶者からの請求であるとの一事をもって許されないとすることはできない」と判示しました(最大判昭和62年9月2日民集41巻6号1413頁──この判決の事案は、別居が36年間も続いたという夫婦であった、というものです)。 この判決は、婚姻が崩壊した場合にはいつでも直ちに離婚が認められるというのではなく、これまで認めていなかった有責配偶者の離婚請求が、状況によっては離婚が認められる場合のあることを宣言したものだといえます。 筆が走って、現代のことまで書いてしまいました。申し訳ございません。 「あっ」、大きな問題についての調査を忘れていました。何でまた、離縁状は3行と半分で書くのでしょう。困った、困った。重ねて、お詫び申し上げます。 参考文献 @城山教授のご紹介で有名な、穂積重遠の『離縁状と縁切寺』(1932、日本評論社) A石井良助『江戸の離婚 三行半と縁切寺』(1965、日本経済新聞社) これは後に、石井良助『江戸の離婚』(1991、明石書店)として再刊された。 B井上禅定『駆込寺離婚 いまとむかし』(1976、現代史出版会) C石井良助『日本婚姻法史』(1977、創文社) D五十嵐富夫『駆込寺──女人救済の尼寺──』(1989、塙書房) E高木侃『三くだリ半と縁切寺』(1992、講談社) |
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